応接室で待っていると、私の事務所に電話をかけてきた今井氏が現れた。
「どうもご足労をおかけしまして」
物腰も低く名刺を出すと、「お仕事のほうは忙しいんでしょうね」と本題ではない話を振り向ける。これは依頼先が企業である場合よくあることなのだが、初めて依頼する調査会社や探偵を、信頼できるかどうか観察しているからにほかならない。
暫くすると、今井氏は「御社はどんな調査がお得意なのですか」とか「貴社は何年ぐらいこの仕事を、なさっているのですか」などと聞いてくる。仕事を依頼するに足りる会社かどうか、さらに探りをいれているわけである。ここで相手に不信感を持たれたら受件には至らない。私はこれまでの調査実績などを正直に答えたのだが、彼はこれを聞くと安心したらしく、ようやく本題に入った。
「実は、うちでは毎年かなりの季節労働者を受け入れているんですが・・・・・調べていただきたいのは、三年ほど前に雇い入れた青森出身の男性なんです」これが今回の調査対象者である駒田だったのだが、今井氏が話してくれたことをかいつまんでいうと次のようになる。
現場工事が多いY工業では駒田のような出稼ぎ労働者のために専用の寮を用意し、朝夕、マイクロバスで工事現場まで送迎しているのだが、ある日、寮に帰る途中、送迎バスが事故に遭ったという。「事故といっても、そんな大層なものではなく、側溝に脱輪した程度だったんです。マイクロバスに乗っていたのは、運転手を入れて二十人ほどだったのですが、事故後、このなかの二、三人が手足の不調を訴えましてね。当社では肩や足に痛みがある人は休ませ、念のために病院にも通わせたんですが・・・・・」
労働者を使い捨てにする工事会社も少なくないなか、事故後の対応も適切で、労働者思いの会社と言えた。今井氏によると、それから数日すると、季節労働者も体の痛みを訴えることがなくなり、全員現場で働けるようになったのだが、駒田だけは、二、三日すると”腰が痛くて歩けない”と休むようになったという。
「私もね、最初はあの事故が原因だとは思わず、たんなるサボタージュだと思っていたんです。ところが、彼はいっこうに現場に出てこようとせず、病院に通う以外は寮で寝ているんです。私が寮に行って事情を聞くと、”一旦はよくなったと思ったが、現場で作業しているうちにだんだん腰や肩の痛みがひどくなり、いまはこのとおり起きあがることも大変なぐらいだ”と言うんです。そして、”こんな体では故郷の青森にも帰れない。しっかりと治したいので入院したい”って言うんです」
このため、Y工業では駒田を寮の近くの病院に入院させ、労災の手続きまでとったという。
「そうですか、ずいぶん手厚い事故後の対応をなされましたね」
私がこう言うと、
「実は、彼はうちが直接雇った従業員ではなく、元請け企業である大手鉄道会社の現場作業員として雇われていましてね。そこらあたりもあって、彼のw処遇には万全を尽くしたところもあるのです・・・・」
と、今井氏はため息まじりに答える。
駒田もこんな”会社の弱み”を見抜いたのだろう。まことに信じられないことだが、彼はそれから二年もの間、Y工業の寮に住みながら入退院を繰り返し、働きもせず給料を受け取っていたという。
手当を受けていた駒田が「ここにいてもしょうがないから郷里でじっくりと治したい」と言い出したのは六カ月ほど前の昨年秋だったという。Y工業では、保険会社と相談して、解決金として一千万円を駒田に支払った。「私もこれでけりがついたと思っていたんです。ところが、二週間ぐらい前でした。彼から電話があり、”後遺症が出て、昨日まで市立病院に入院していた。どうにか退院したが歩くこともできない”と、労災を打ち切らないように言うんです。
私が”うちとしてはあの一千万円ですべて落着したと考えている”と答えると”そちらで誠意を見せなければS鉄道に訴える”と言って、当座の慰謝料を要求してきたんです。いやもう・・・・どうしたらいいものかと思って」今井氏の名刺には常務取締役とある。年齢は五十歳を少し超えたあたりだろうか。見るからに実直そうで、事務職ではなく現場を担当しているようだった。自分が得意とする分野ではないだけに、どう対処していいかわからないのだろう。
今井氏はほとほと困った表情で話を続けた。「いや、実はね、私たちも駒田が病気を装っているのではないかと疑問を持ち、大手の調査会社に依頼してみたんです」
今井氏はその調査会社の社名が書いてある封書から報告書を取り出した。調査はマルヒに話を聞いてまとめたらしく、《数週間前まで、青森市内にある市立病院に入院していた》
《日中も家にいることが多く、外出するのは病院に薬をもらいに行くときだけ》という内容のことが書いてある。市立病院の名前も、実際に入院していたという裏付けもない。私は、(これが大手と言われる調査会社のやることか・・・・)と、内心憤りを感じながら言った。