ペンキ 2

事務所に帰り、カバンからまだ帯を切らない札束を出し、受け付け兼お茶くみ兼電話番兼調査助手兼経理係の恵美子に渡すと、
「え?このお金・・・どうしたんですか?」
と目を丸くしている。私が平静を装いながら、
「調査日だよ。例の新田浦の親分の」
と言うと、貧乏探偵事務所の経理係は、「クリスマスプレゼントね、これからはサンタを信じよう」などと言いながら、金庫にしまった。
「やくざもあそこまで偉くなると違うもんだ」などと、主管の警察庁が聞いたら、目を剥いて起こるようなことを言いながら、年の瀬を迎えたのを昨日のことのように覚えている。

新田浦の会長からちょこちょこ調査依頼が舞い込むようになったのはそれからだった。調査内容は、組が実質的に経営している飲食店の売り上げをマネージャーが抜いていないか調べてくれ、地上げする土地の所有者を調査してくれといったものだが、会長も仕事をキチンとする私のことを気に入ってくれたようだった。

あれから十年が過ぎた。最近の会長はなんとなく元気がない。さしたる用事もないのに「親父がちょっと来てくれってさ」と、子分から電話がかかる。私もそのころには、親戚の伯父さんに会うくらいの心安さで「組事務所」に行けるようになっていた。会長は、年齢の割には身長もあって、渋みのあるいい男である。かつては何度も修羅場を経験しただろうが、いまではそんな素振りも見せず、目を細めて話す姿は好々爺そのものだった。

時は、彼らやくざにとって冬の時代で、暴対法の成立と共に、思うような活動ができず、特に若い衆はしのぎが難しくなっていた。一人、二人と子分が減り、事務所に電話当番すらいないこともあった。私はときどき思うことがある。やくざは概して短命である。なぜだろうと考えてみる。それは彼等の生き方に大きく関係するのではないだろうか。若いころから斬った張ったの世界である。規則正しい生活など望むべくもなく、縄張り争いで喧嘩沙汰にでもなればそれこそ命の保障はない。仮に喧嘩に勝っても、運が悪ければ刑務所行きとなる。まさに、命を削って生きて行かなければならないのだ。

その日の会長は、心なしかいちだんとしょんぼりして見えた。広い会長室の大きな机の前に座り、それでもジッと見据えられると怖くなる目で私を見て、
「最近、ある女の夢をよく見るんだよ。俺が銀座で与太っていたころのことだけど、ちょっとの間暮らしたことがあるんだが、いま、どうしているのかな」
と言う。

私は黙って聞いていた。会長は話しながら遠くを見るような目をし、その後、机の中をごそごそと何やら探していた。やがて、「ああ、これだ」と言いながら一枚の写真を取り出し、私の座っているソファにくると「こいつだ」と乱暴な口ぶりでその写真を見せた。私は「拝見します」と言い、セピア色に変色したその写真を見た。そこには会長の若かりしころの勇姿があった。たぶん当時の流行だったのだろう。トレンチコートにハットをかぶり、映画「カサブランカ」に出てくるボギーに勝るとも劣らないほど渋く、いなせな男が写っていた。

私は、「うわあ、ハンサムだったんですねえ」と大袈裟に褒め、横に写っている女性についても、「美人ですね」と、思ったとおりの感想を言った。褒められて怒る人はいない。会長もうれしそうな顔をして、「俺もこのころは悪くて、この女にずいぶんひどいことをした」などと、感慨深げに言う。住む世界の違う私には想像もつかないが、闇の世界でここまでのし上がった人である。さぞかし女にモテただろうし、それを妬いたりでもしたら、怒って暴力を振るったかもしれない。あるいは彼女の稼ぎを巻き上げ、博打に走ったことだってあるだろう。

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