ペンキ 3

いま私の前に座り、人のよさそうな顔でニコニコ話す老人とは全く異質の、冷徹で野獣のような若いやくざがいたはずである。会長は最近になってこの女性の夢を何度か見て、何となく気がかりだという。三十年以上前のことである。間違ってもいまさらよりを戻そうとかいう、軽いノリの話ではないことくらい私にもわかる。会長の感情は、「功」成り、「名」を遂げた人に共通する「郷愁」ではなかろうかと思った。人という生き物は、時に自信が抑制できない、不思議な感情に襲われるものらしい。

まだ当時、四十歳そこそこの私には、とうていすべてを理解することはできなかったが、ほんの少し、会長のノスタルジアに共感した。「探せるか?」と会長。私は、「ぜひやらせてください」と二つ返事でこの依頼を引き受け、翌日からさっそく調査に入った。写真の女性は小夜子という。手がかりは会長の記憶だけだった。それでも会長は呻吟しながら昔の思い出を辿り、三十数年前、銀座の、いまはない高級クラブのホステスだったこと、姓かは島根の石見銀山の近くで、江戸時代から続く大きな造りの酒屋だったことを思い出した。小夜子を探すのに役立ちそうな情報はこれぐらいである。

「そうそう、オレと別れた後、アメリカ人と結婚したらしくてな。何年かあっちに行っていたという噂を聞いたことがある。だけど、その男とはまもなく別れたらしく、日本に帰ってきて、青山辺りの英会話学校の先生をやってたらしいんだが・・・」
その顔は斬った張ったのヤクザな世界に生きた男とは思えないほどしんみりしている。銀座で売り出し中の若いヤクザと高級クラブの美人ホステスにどんな愛憎ドラマがあったのか、私は、会長にそれ以上聞けず、新田裏の事務所を後にした。

人捜しの方法はいくつかあるのだが、大きく言えば、マルヒの人間関係からたどる方法がある。前述した六億円持ち逃げ男は人間関係をたどって成功した。私は、調査員の露木に島根県の酒造会社をリストアップさせ、さらに「石見銀山の近くにある江戸時代から続く造り酒屋」を絞り込ませた。当時二十五歳だった露木は、歌舞伎町のクラブでボーイをやっていたとき、一緒に暮らしていたホステスに逃げられ、「どこに居るか探してくれ」と言ってわが事務所の依頼人になったことのある男だった。私が、「気持ちの離れた女性を追っかけてもしょうがないよ」と諭したら、何を勘違いしたか「探偵になりたい」と言って、転がり込んできた。押しかけ探偵見習いである。助手にしてみると、意外と頭の回転が速く、仕事もそつなくこなす男だった。

「所長、石見銀山てえのは鉱山がひとつあるわけじゃなく、島根県の大田市を中心にかなり広範囲に広がっているんですよ」露木が机に島根県の大判地図を広げ、JR三江線「A駅」に赤丸をつけながら報告したのは、それから二日もしないうちだった。私はすぐに露木に現地に行くように命じた。露木から連絡があったのは、現地調査に行って二日目の夕方だった。
「所長、大当たりです。でも、家族はマルヒの居所を知らないようです」
「よし、わかった」
露木が現地で調べたところによると、マルヒの実家はかなり大きな造り酒屋で、当主には彼女の腹違いの弟がなっているということだった。聞き込みによると彼女の生い立ちはちょっと複雑だった。武田正則の第一子として生まれた小夜子は、八歳のときに実の母親と士別。父親はその三年後に再婚し、後妻との間には三人の子供ができた。小夜子は地元の高校を卒業した十八歳のとき、上京した。継母との折り合いが悪かったのか、それとも、ただたんに”花の東京”に憧れて上京したのか。

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