ペンキ 4

会長の記憶によると、同棲していたのは昭和三十九年~四十一年だから、彼女が二十三、四歳のころということになる。女として一番いい時期に会長と暮らしていたのだが、当時、会長は”銀座で売り出し中のヤクザ”である。俗な言い方をするなら、島根の素封家に生まれたお嬢さまは、上京後、坂から転げ落ちるように身を持ち崩し、四年後にはヤクザの女になったことになる。

その後の内偵調査で港区に住んでいるとの情報が入った。
「港区白金かあ。いいところじゃないですか。あそこあたりは外国の大使宅も多い高級住宅街ですからね」
露木からあらましの経緯を聞き、最後の詰めは私がやることにした。小夜子さん(ここからは、マルヒを、さん付けにしたい)が現在住んでいるのは、幸いにも東京都内だった。後日思い出しても、このとき私は、はっきりと小夜子さんの住所が都内であることを幸いに思った。

後日思い出しても、このとき私は、はっきりと小夜子さんの住所が都内であることを幸いに思った。理由については確たる説明はできないが、ただ何となくではあるが、強くそう思ったのだった。数日後、小夜子さんが住むという白金の住宅街を、私は彷徨っていた。小夜子さんの住所は、港区白金〇丁目〇番地〇号であることはわかっている。小夜子さんの現住所である港区白金は、一時マスコミで有名になった「シロガネーゼ」(白金近隣に住むセレブ)が街を闊歩する、都内でも有数の高級住宅街である。当該の番地には一軒家が十二戸あり、アパートが二棟建っている。

戸建てだろうと推測し、まずは一軒家をしらみつぶしに当たってみた。彼女が現在独身で、旧姓の武田に戻っていることは情報としてあった。ところが、武田姓の表札がかかっている家は一軒もなかった。あるいは内縁の妻として暮らしているのかもしれにあ。こう思った私は、同年齢の小夜子という女性が住んでいないか、一軒一軒確かめてみたのだが、該当する女性が住んでいるとの傍証は得られず失望した。

調査をしているとまれに生じる現象である。情報では住んでいるという話があっても、実際には住んでいない。よくよく調べてみると、そこは親戚か知人の家で、便宜上、住んでいることになっている。この場合、なんらかの事情、例えば債権者から身を隠すとか、義務教育の期間、わが子の希望する学校が、居住地以外の区にあるが、どうしても子供をその学校に入れたいとき、未成年の子供の住所だけを移す訳にはいかず、母親と二人で住所移動するといったケースもある。

残りは二棟のアパートだけである。一棟がワンルームマンションで、もう一棟は木造二階建てだが、屋根がトタン葺きで壁も薄いベニヤ板で造られた掘っ建て小屋のようなアパートだった。私は無駄を承知で周囲を一軒ずつ聞いて回り、アパート二軒については家主に面談し、特に詳細を述べて聞いた。しかし、そのような氏名の者はいないと言う。当該番地を何度も歩いたが発見できず、(また一から出直しだな)と、諦めて帰ろうとしたが、もう一度、古びたアパートに回ってみた。そして何気なく階段の上を見て、(あれは何だろう?)思った。

先刻、家主の夫人にさんざん聞いて、「武田さんも、小夜子さんという人もいません」と、私のしつこさにうんざりされたアパートである。東京大学医科学研究所の裏手に位置する、閑静な住宅街。比較的生活レベルの高そうな家が並ぶなかで、その建物は、まだこんなアパートがあるのかと驚くほど粗末なものだった。木造二階建て、と言えば聞こえはいいが、トタン葺きの屋根に古材の板で囲ったような外観。二階に上がる階段は、ところどころ板が抜け落ち、鉄製の手すりは錆びついている。

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