ペンキ 5

私の目にとまった部屋は、その階段を上がり詰めてすぐのところで、ベニヤ板のドアが形ばかり付いていた。そのドアに、何やら白いものが見えたのだ。私は何だろうと思い、ギッギッと音のする階段を上がって、それを確認した。私はその白いものを見て、それが何であるかを知り、一坪もない踊り場に茫然と立ちすくんだ。

ドアには、あの会長の姓を示す「原」という一文字の漢字が、白いペンキで書かれていた。白いペンキの字は決して達筆ではない、たどたどしく稚拙ともいえる字だった。なにか切なくやり場のない思い。心が震えるような複雑な感情に襲われた。まぎれもなくここが小夜子さんの住まいであることを知った私は、まるで悪いことでもしたかのように、逃げるようにしてその場を立ち去った。

帰路、車を運転しながら、久しぶりに胸の高まりを覚え、同時に何の脈略もなく昔読んだ、松本清張の「遠くからの声」という小説を思い出していた。詳しくは覚えていないが、遠く離れている主人公の、腹違いの妹の声なき声が聞こえるといった内容ではなかったかと思う。幼いころから離れ離れになった、ただひとりの肉親である妹が、不幸な生活に沈んでいる。主人公の妹を思う心のなせるワザなのか、彼女の「お兄ちゃん助けて!」というメッセージを感じ取る主人公・・・。そんな物語だったと記憶している。あるいは私の解釈が違っているかもしれないが、この本を読んで強く共鳴した思い出があった。

翌日、事務所に出た私は、露木と小田に小夜子さんの行動を見張るよう指示した。余計なことだった。通常、このような所在調査の場合、マルヒの居所が判明すれば、仕事はそれで終了する。しかし、私の気持ちがそうせざるを得なかった。どちらかと言うとサービス精神の旺盛な私だが、今回はそんな安っぽい感情ではなかった。もちろん、会長に対する追従でもない。強いて言えば自分自身のためであり、何かを確認したいがためであった。

とにかく、私の事務所は小夜子さんに対する行動調査を数日間行った。その結果、小夜子さんは十年ほど前から同所で生活しており、引っ越してきた当時は職業を持っていた。しかし、いまでは全く仕事をしておらず、国の生活保護を受け、ひっそりと暮らしている。外出もほとどしないが、どこかで拾ってきたという子犬の散歩に、一日二回、近所を歩いている。そのほか、これといった病気もせず、おおむね健康を維持していること、外部からの訪問者は皆無であることなどがわかった。

露木たちは、私が指示したとおり、小夜子さんの顔写真を撮り、犬と散歩する様子をビデオに収め、朝夕二回の、散歩経路を詳細に書いた報告書を作って持ってきた。私はこのときはじめて小夜子さんの写真をしみじみ見た。当然ながら、三十数年前の若さはなく、ほっそりとした体形も小太りとなり、着ているものも粗末なせいか、暮らしに疲れた印象の老女の顔が写っていた。私は報告書を丹念に読みながら、彼女のこれまでの人生に思いを馳せた。実家のある郷里は島根県の外れにあって、今でも人口数千人の、何の特徴もないひなびた田舎町である。

それでも造り酒屋を営む武田家は素封家で、小夜子さんが生まれたころは商売もそれなりに繁盛し、何不自由なく、高校までの十八年間を過ごしている。上京直後の様子は分からないが、初めからホステスを目指した訳ではあるまい。恐らく特別な事情でネオン川に身を沈めたのだろう。しかし、そこで、まだ若かった会長と出会った。そして二年ちょっと一緒に暮らし、やがて犬猫みたいに捨てられ、流浪の果てがいまの生活である。国の庇護を受け、肩身の狭い思いで日々暮らし、どこにも出かけず、誰も訪ねてこない。

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