タンゲーラ 9

彼女はハンカチで目頭を押さえると、話を続けた。「そして・・・主人は私にこう言うんです。”いいか、よく聞け。これから朋子の家がある方角に足を向けて寝るな。俺は朋子がいればこそ、一生懸命働いている。そのお陰でお前たちは生活できるのだ。言ってみれば、朋子はお前達の恩人みたいなものだ。朝晩、朋子の写真に手を合わせてもいいぐらいだ”と。主人はだいぶ酔っていたみたいで、私が出迎えなかったのが気に入らなかったのかもしれませんが・・・」
依頼人はそれまで、どんなに夫の帰りが遅くても、起きて待っていたという。婚約したとき、彼女の母親が「夫より先に寝てはいけませんよ」と言った言葉を忠実に守っていたのである。「でも昨日は、幼稚園の保護者参観があって、家に帰ると、学生時代の友達が久しぶりに訪ねてきたものだから・・・。一時ぐらいまでは起きていたんですが、つい子供の部屋でウトウトとしてしまって」
だが、彼女も、夫が朋子の名前を口に出し、彼女に足を向けて寝るな、写真を拝めと言われては、さすがにガマンできなかったようだ。「そんなに朋子さんが大事なら、ご一緒に暮らせばいいのだわ。私は子供と実家に帰らせていただきます」
というと、真夜中に子供たちを連れてタクシーで都下K市にある実家に帰ったという。ちなみに、依頼人である妙子の実家はかなりの資産家で、都内ばかりでなく首都圏に大型マンションを数多く所有している。この不動産は、弟が社長をしている不動産会社で管理しているのだが、言ってみれば、妙子は大地主の箱入り娘という事になる。大学卒業後も他のクラスメートのように就職せず、二~三年嫁入り修行をしたあと、良彦と見合い結婚したという。依頼人がこの日最初に言った「母が来てくれた」は、正確に言うと「母のもとに行った」ということになる。ここまで聞き出すのに一時間以上かかった。「でも、だからといって消すなんて物騒なことを言わないでください。もっとほかに方法があるでしょう?それを一緒に考えましょう。もしお時間があるなら、お酒でも飲みますか?」と誘うと、とたんに目を輝かせ、「行きた~い。連れていって」とはしゃぎ、いつもの明るく天真爛漫な奥さんに戻った。いま泣いたカラスが、というあれである。
夫本人が”自白”したことで、浮気調査は実質的に終わったが、依頼人の妙子とは、それからも会い続けた。言ってみればアフターケアのようなもので、ときどき有閑マダムの話し相手をしているような錯覚に陥ることもあった。会うのはいつも信濃町の「タンゲーラ」と決まっていた。依頼人もこの喫茶店が気に入って、「じゃあいつものところで」などと、当然のように約束して嬉々として現れる。夫からあんな酷い暴言を吐かれたというのに、妙子は数日すると夫のもとに帰ったという。子供の幼稚園のこともあったのだろう。だが夫婦関係は大きく変化したらしく、寝室は別になり、食事を仕度はするものの、帰宅を待つことはなくなったようだ。こういた妻の対応に、夫の態度は一層エスカレートし、家で朋子に電話をかけ、妻の目の前で睦言を言ったりするようになった。今どきの言葉を使えば完全な”仮面夫婦”である。タンゲーラで会って妙子と話をしていると、「こうしてあなたに会ってお話しするのが唯一の楽しみなの」と言われることもあった。憂いを秘めた魅力的な人妻が見せる無垢な少女の表情が私を惑わせた。妙子の家で初めて依頼を受けて半年ぐらいたった、三月のある暖かい昼下がり。いつものようにタンゲーラで会い、二時間余り他愛のない話をした私たちは信濃町駅から歩いて一、二分のところにある神宮外苑を散歩することにした。

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