ペンキ 7

恐らくいまの小夜子さんにとって、この「原」という漢字の一文字が、他の何よりも貴重な財産であり、生きて行く支えなのだろう。報告書を読み終えた親分と今後の打ち合わせをすませ、会長室を出た私は充分満足した。会長の、そして小夜子さんの「遠くからの声」がしっかり届いたと確信した。探偵稼業もいいもんだ。心底そう思えた。

私は、その後、自然な形で小夜子さんと接触したいと言う会長に、自分の感想を率直に述べた。
「夕方の犬の散歩のとき、偶然を装って会うのはどうですか?」と進言し、さらに会長が何気なく立つ場所までアドバイスした。会長は「よし、わかった」と、私の気持ちや手法を理解してくれ、最後に「ありがとう」と言ってくれた。いままで「ご苦労さん」と言われたことは何度もあったが、ありがとうと言われたのははじめてだった。そこにはヤクザの顔はなく、古希を過ぎたひとりの男の満足げな姿があった。

その後、小夜子さんと会長がどうなったか知らない。何もなかったかもしれないし、あるいは、彼女の暮らし向きが少しはよくなったかもしれない。会長からのお呼びのないまま、この調査について忘れかけたある日。組の事務所から、会長の葬儀の日程を知らせるファクスが届いた。

ペンキ 6

ただ、物言わぬ、拾ってきた子犬との侘しい毎日である。「子犬に何か話しかけながら笑ったりすることもあるんですが、その笑顔だけ見ていると、結構上品そうで、いいところの奥さまのように見えるんです。もちろん、服を見ると、貧乏そうな老婆ですけどね」露木は私にこんなふうに話しながら、三日間の行動調査の報告書を写真と一緒に渡した。

数日後、少し重い心で「新田裏」の会長を訪問した。例によって子分に案内され、会長室に入る。会長はすぐに子分を下がらせ、私の顔を見てニッと笑った。私の抱えている分厚い茶封筒をチラリと見て、体全体で、早く結果が知りたいといった素振りをする。私は努めて事務的な口調で、
「会長、小夜子さんは白金に住んでいました」
白金と聞いて、会長も昔の恋人が高級住宅街に住むような老後を暮らしていると思ったのだろう。安堵ともつかぬ表情が浮かんだ。私はそれを察して、
「報告書を読んでいただけるとわかりますが、いまはそれほど恵まれた状況ではありません」
このとき、会長の顔には「ほう?」という表情が浮かんだのだが、それは「恵まれた生活をしていない」事に対する憐憫だったのだろうか。私は、すぐに報告書を渡さず、まず口頭で彼女の住所が判明した経緯を、ただ、「あのこと」だけは触れず、時間をかけて説明した。

そのあいだ会長は、うんうんと、相槌を打ちながら聞いている。なるほどというか、やはりというか、「小夜子さんに現在男の影はありません」といった部分では、気のせいか満足そうな表情を見せた。会長も、いまだに男である。話が一区切りしたところで、
「これをご覧になってください」
私は行動調査に何枚かの写真を加えた報告書を会長に手渡した。会長は報告書を手にして、ゆっくりとページを繰っていく。私は子分が置いていったコーヒーを飲みながら、会長の表情を息をひそめて見守った。本当ならこの場からすぐにでも立ち去りたかった。しかし、そういう訳にもいかず、落ち着かないまま待っていた。

チラッと会長の様子を見た。(もうすぐだな)。やがてあのページにさしかかるはずだ。私は腹を決め、机を挟んで相対して座る会長を凝視した。ページをめくるかすかな音がして、ついにそこに来た。会長がひとりの男、いや、「人間」らしさを見せるはずの瞬間である。会長は間違いなく、いまそのページを開き、見ているはずである。ページはもう終わりに近づいていた。しかし、いっこうに進まない。否、もう進めないのだろう。

会長は会長で、衝撃に必死で耐えているに違いない。日本中のやくざに恐れられ、あるいは憧れの的だっただろう男が、私の差し出した一通の報告書のそのページを見て、いま何を思い、何をかんじているのだろうか。それまで、正面を向いて机に肘をついて読んでいた会長は、姿勢を変えていた。背中半分が私に見えるくらい後ろ向きになり、報告書を顔の位置にあげ、じっとしている。

小夜子さんがおよそ十年前、今の白金のアパートにどこかから越してきて、バラックのようなそのアパートの粗末なドアに、白いペンキで昔の男の名前を書いた理由は何か?どんな思いで、三十数年前にちょっとだけ暮らしたことのあるチンピラヤクザの名前を、「自分のもの」として書いたのか?会長は、「あの女にはずいぶんひどいことをした」と悔やんでいた。しかし、ひどい仕打ちを受けたはずの小夜子さんのほうは、会長のことをひとときも忘れなかったというのか?男である私にはとうてい理解し得ないことである。たどたどしく書かれた一文字の漢字。これを書いたとき、小夜子さんは遠い昔の楽しい日々を思い出したのか?そして毎日、部屋に出入りするたびにこれを見て、いまでは押しも押されぬ大親分となった、かつての恋人を偲んでいたというのか?

ペンキ 5

私の目にとまった部屋は、その階段を上がり詰めてすぐのところで、ベニヤ板のドアが形ばかり付いていた。そのドアに、何やら白いものが見えたのだ。私は何だろうと思い、ギッギッと音のする階段を上がって、それを確認した。私はその白いものを見て、それが何であるかを知り、一坪もない踊り場に茫然と立ちすくんだ。

ドアには、あの会長の姓を示す「原」という一文字の漢字が、白いペンキで書かれていた。白いペンキの字は決して達筆ではない、たどたどしく稚拙ともいえる字だった。なにか切なくやり場のない思い。心が震えるような複雑な感情に襲われた。まぎれもなくここが小夜子さんの住まいであることを知った私は、まるで悪いことでもしたかのように、逃げるようにしてその場を立ち去った。

帰路、車を運転しながら、久しぶりに胸の高まりを覚え、同時に何の脈略もなく昔読んだ、松本清張の「遠くからの声」という小説を思い出していた。詳しくは覚えていないが、遠く離れている主人公の、腹違いの妹の声なき声が聞こえるといった内容ではなかったかと思う。幼いころから離れ離れになった、ただひとりの肉親である妹が、不幸な生活に沈んでいる。主人公の妹を思う心のなせるワザなのか、彼女の「お兄ちゃん助けて!」というメッセージを感じ取る主人公・・・。そんな物語だったと記憶している。あるいは私の解釈が違っているかもしれないが、この本を読んで強く共鳴した思い出があった。

翌日、事務所に出た私は、露木と小田に小夜子さんの行動を見張るよう指示した。余計なことだった。通常、このような所在調査の場合、マルヒの居所が判明すれば、仕事はそれで終了する。しかし、私の気持ちがそうせざるを得なかった。どちらかと言うとサービス精神の旺盛な私だが、今回はそんな安っぽい感情ではなかった。もちろん、会長に対する追従でもない。強いて言えば自分自身のためであり、何かを確認したいがためであった。

とにかく、私の事務所は小夜子さんに対する行動調査を数日間行った。その結果、小夜子さんは十年ほど前から同所で生活しており、引っ越してきた当時は職業を持っていた。しかし、いまでは全く仕事をしておらず、国の生活保護を受け、ひっそりと暮らしている。外出もほとどしないが、どこかで拾ってきたという子犬の散歩に、一日二回、近所を歩いている。そのほか、これといった病気もせず、おおむね健康を維持していること、外部からの訪問者は皆無であることなどがわかった。

露木たちは、私が指示したとおり、小夜子さんの顔写真を撮り、犬と散歩する様子をビデオに収め、朝夕二回の、散歩経路を詳細に書いた報告書を作って持ってきた。私はこのときはじめて小夜子さんの写真をしみじみ見た。当然ながら、三十数年前の若さはなく、ほっそりとした体形も小太りとなり、着ているものも粗末なせいか、暮らしに疲れた印象の老女の顔が写っていた。私は報告書を丹念に読みながら、彼女のこれまでの人生に思いを馳せた。実家のある郷里は島根県の外れにあって、今でも人口数千人の、何の特徴もないひなびた田舎町である。

それでも造り酒屋を営む武田家は素封家で、小夜子さんが生まれたころは商売もそれなりに繁盛し、何不自由なく、高校までの十八年間を過ごしている。上京直後の様子は分からないが、初めからホステスを目指した訳ではあるまい。恐らく特別な事情でネオン川に身を沈めたのだろう。しかし、そこで、まだ若かった会長と出会った。そして二年ちょっと一緒に暮らし、やがて犬猫みたいに捨てられ、流浪の果てがいまの生活である。国の庇護を受け、肩身の狭い思いで日々暮らし、どこにも出かけず、誰も訪ねてこない。

ペンキ 4

会長の記憶によると、同棲していたのは昭和三十九年~四十一年だから、彼女が二十三、四歳のころということになる。女として一番いい時期に会長と暮らしていたのだが、当時、会長は”銀座で売り出し中のヤクザ”である。俗な言い方をするなら、島根の素封家に生まれたお嬢さまは、上京後、坂から転げ落ちるように身を持ち崩し、四年後にはヤクザの女になったことになる。

その後の内偵調査で港区に住んでいるとの情報が入った。
「港区白金かあ。いいところじゃないですか。あそこあたりは外国の大使宅も多い高級住宅街ですからね」
露木からあらましの経緯を聞き、最後の詰めは私がやることにした。小夜子さん(ここからは、マルヒを、さん付けにしたい)が現在住んでいるのは、幸いにも東京都内だった。後日思い出しても、このとき私は、はっきりと小夜子さんの住所が都内であることを幸いに思った。

後日思い出しても、このとき私は、はっきりと小夜子さんの住所が都内であることを幸いに思った。理由については確たる説明はできないが、ただ何となくではあるが、強くそう思ったのだった。数日後、小夜子さんが住むという白金の住宅街を、私は彷徨っていた。小夜子さんの住所は、港区白金〇丁目〇番地〇号であることはわかっている。小夜子さんの現住所である港区白金は、一時マスコミで有名になった「シロガネーゼ」(白金近隣に住むセレブ)が街を闊歩する、都内でも有数の高級住宅街である。当該の番地には一軒家が十二戸あり、アパートが二棟建っている。

戸建てだろうと推測し、まずは一軒家をしらみつぶしに当たってみた。彼女が現在独身で、旧姓の武田に戻っていることは情報としてあった。ところが、武田姓の表札がかかっている家は一軒もなかった。あるいは内縁の妻として暮らしているのかもしれにあ。こう思った私は、同年齢の小夜子という女性が住んでいないか、一軒一軒確かめてみたのだが、該当する女性が住んでいるとの傍証は得られず失望した。

調査をしているとまれに生じる現象である。情報では住んでいるという話があっても、実際には住んでいない。よくよく調べてみると、そこは親戚か知人の家で、便宜上、住んでいることになっている。この場合、なんらかの事情、例えば債権者から身を隠すとか、義務教育の期間、わが子の希望する学校が、居住地以外の区にあるが、どうしても子供をその学校に入れたいとき、未成年の子供の住所だけを移す訳にはいかず、母親と二人で住所移動するといったケースもある。

残りは二棟のアパートだけである。一棟がワンルームマンションで、もう一棟は木造二階建てだが、屋根がトタン葺きで壁も薄いベニヤ板で造られた掘っ建て小屋のようなアパートだった。私は無駄を承知で周囲を一軒ずつ聞いて回り、アパート二軒については家主に面談し、特に詳細を述べて聞いた。しかし、そのような氏名の者はいないと言う。当該番地を何度も歩いたが発見できず、(また一から出直しだな)と、諦めて帰ろうとしたが、もう一度、古びたアパートに回ってみた。そして何気なく階段の上を見て、(あれは何だろう?)思った。

先刻、家主の夫人にさんざん聞いて、「武田さんも、小夜子さんという人もいません」と、私のしつこさにうんざりされたアパートである。東京大学医科学研究所の裏手に位置する、閑静な住宅街。比較的生活レベルの高そうな家が並ぶなかで、その建物は、まだこんなアパートがあるのかと驚くほど粗末なものだった。木造二階建て、と言えば聞こえはいいが、トタン葺きの屋根に古材の板で囲ったような外観。二階に上がる階段は、ところどころ板が抜け落ち、鉄製の手すりは錆びついている。

ペンキ 3

いま私の前に座り、人のよさそうな顔でニコニコ話す老人とは全く異質の、冷徹で野獣のような若いやくざがいたはずである。会長は最近になってこの女性の夢を何度か見て、何となく気がかりだという。三十年以上前のことである。間違ってもいまさらよりを戻そうとかいう、軽いノリの話ではないことくらい私にもわかる。会長の感情は、「功」成り、「名」を遂げた人に共通する「郷愁」ではなかろうかと思った。人という生き物は、時に自信が抑制できない、不思議な感情に襲われるものらしい。

まだ当時、四十歳そこそこの私には、とうていすべてを理解することはできなかったが、ほんの少し、会長のノスタルジアに共感した。「探せるか?」と会長。私は、「ぜひやらせてください」と二つ返事でこの依頼を引き受け、翌日からさっそく調査に入った。写真の女性は小夜子という。手がかりは会長の記憶だけだった。それでも会長は呻吟しながら昔の思い出を辿り、三十数年前、銀座の、いまはない高級クラブのホステスだったこと、姓かは島根の石見銀山の近くで、江戸時代から続く大きな造りの酒屋だったことを思い出した。小夜子を探すのに役立ちそうな情報はこれぐらいである。

「そうそう、オレと別れた後、アメリカ人と結婚したらしくてな。何年かあっちに行っていたという噂を聞いたことがある。だけど、その男とはまもなく別れたらしく、日本に帰ってきて、青山辺りの英会話学校の先生をやってたらしいんだが・・・」
その顔は斬った張ったのヤクザな世界に生きた男とは思えないほどしんみりしている。銀座で売り出し中の若いヤクザと高級クラブの美人ホステスにどんな愛憎ドラマがあったのか、私は、会長にそれ以上聞けず、新田裏の事務所を後にした。

人捜しの方法はいくつかあるのだが、大きく言えば、マルヒの人間関係からたどる方法がある。前述した六億円持ち逃げ男は人間関係をたどって成功した。私は、調査員の露木に島根県の酒造会社をリストアップさせ、さらに「石見銀山の近くにある江戸時代から続く造り酒屋」を絞り込ませた。当時二十五歳だった露木は、歌舞伎町のクラブでボーイをやっていたとき、一緒に暮らしていたホステスに逃げられ、「どこに居るか探してくれ」と言ってわが事務所の依頼人になったことのある男だった。私が、「気持ちの離れた女性を追っかけてもしょうがないよ」と諭したら、何を勘違いしたか「探偵になりたい」と言って、転がり込んできた。押しかけ探偵見習いである。助手にしてみると、意外と頭の回転が速く、仕事もそつなくこなす男だった。

「所長、石見銀山てえのは鉱山がひとつあるわけじゃなく、島根県の大田市を中心にかなり広範囲に広がっているんですよ」露木が机に島根県の大判地図を広げ、JR三江線「A駅」に赤丸をつけながら報告したのは、それから二日もしないうちだった。私はすぐに露木に現地に行くように命じた。露木から連絡があったのは、現地調査に行って二日目の夕方だった。
「所長、大当たりです。でも、家族はマルヒの居所を知らないようです」
「よし、わかった」
露木が現地で調べたところによると、マルヒの実家はかなり大きな造り酒屋で、当主には彼女の腹違いの弟がなっているということだった。聞き込みによると彼女の生い立ちはちょっと複雑だった。武田正則の第一子として生まれた小夜子は、八歳のときに実の母親と士別。父親はその三年後に再婚し、後妻との間には三人の子供ができた。小夜子は地元の高校を卒業した十八歳のとき、上京した。継母との折り合いが悪かったのか、それとも、ただたんに”花の東京”に憧れて上京したのか。