私は(これはたぶんだめだな)と思いながらも、悪い印象だけは与えまいと、なるべく平静を装い、依頼人の次の言葉を待った。ところが、私の予想に反して、この美しい依頼人は「いえ、そんなことありませんわ」と微笑むと、「とりあえず一週間ほど夫の尾行調査をやっていただこうかしら」と、いともあっさり言った。
ちょっと退屈だから、探偵に頼んで夫の行動を調べてみよう-こんな動機で浮気の調査依頼をする彼女に、まだ探偵としても人生経験という意味でも駆け出しだった私は驚いた。
「でもかりに一週間調査すれば、何十万とかかりますよ。退屈しのぎのお遊びだとすれば、ずいぶん高いものにつきますよ」そして、こう付け加えた。
「浮気調査は張り込みや尾行を行うことになるのですが、調査してどれくらいの日数で結果が出るかはわかりません。奥さんと私にツキがあれば、一日ないし数日で証拠が掴めるでしょうし、ご主人に運があれば、もっと日数がかかる場合もあります。例えば月曜日から土曜日までの六日間調査をやれば、五十万円前後かかります。それでもいいんですか?」
ちなみに、当時、神田駅の近くになった私の事務所は十坪足らずだったが、一ヶ月の家賃が五万円である。いまは最低でもこの三~四倍はするだろうかあ、彼女に示した調査費用をいまの金額にすると、およそ百五十万~二百万円ということになる。庶民感覚からいうとかなりの大金なのである。
だが、彼女は私の説明に驚いた様子もなく、かすかにうなずいて私を見つめている。独立してまだ三年目だった私は、どんな仕事でも欲しいときだった。私は依頼人が料金に納得して調査をするならと思い、彼女に詳しく調査の方法を説明して、夫の日常生活を聞いた。
妙子と名乗った依頼人は、夫の日々の行動や癖の話になると。とたんに饒舌になり、さも楽しそうにニコニコ笑いながらしゃべりはじめた。私はそれをメモにとり、最後に「調査申込書」に署名捺印してもらったのだが、彼女はそれが終わると「おコーヒーでも入れるわね」と言って応接間から出ていった。そのとき改めて応接間を見回すと、広さはおよそ三十畳ぐらいで、家具や調度品もいかにも高給そうだった。私は壁にかかったリンゴの絵を見ながら、(おういえば、うちのキッチンの壁に掛けられているのは山野風景写真のカレンダーだったっけ)と思っていたのだが、あとで彼女に聞いたところによると、そのリンゴの絵は本物のシャガールだった。
依頼人の夫の会社は中央区にあり、高島屋日本橋店カラ歩いて三分ほど、都内のビジネス街としても一等地にあった。社名はU工機販売といい、比較的新しい八階建てビルの五階フロアーを全部借り切って営業していた。社歴はまだ十年ちょっとで、社員も四十人ほどの典型的な中小企業だが、大手商社のエリートサラリーマンだった被調査人は、会社員時代の豊富な人脈をフルに生かし、営業手腕も優れていたのだろう。取り扱っている精密機器は国内はもとより海外の企業にも飛ぶように売れ、業績はすこぶるいいようだった。
依頼人の言葉を借りると「儲かってしょうがない」状態らしかった。時はあの田中角栄総理の時代で、列島改革ブームの真っ最中である。社会全体が好景気だったっとはいえ、五万円の事務所代にもきゅうきゅうしていた探偵には羨ましいほどの隆盛ぶりだった。浮気調査を開始したのは、依頼人と面談した翌週の月曜日からだった。ただし、依頼人の妙子が、打ち合わせしているとき、調査対象は夫の良彦ではなく、自分が怪しいと思っている秘書の嶋村朋子にしてほしい言いはじめたため、当面は秘書である朋子の素行調査をやることにした。