タンゲーラ 4

素行調査は、対象人物の行動を時間を決めて監視するもので、張り込みや尾行が主調査になる。このケースのように、妻からの依頼で調べるときは、マルヒの居場所や行動がある程度わかっているため、探偵社にとって比較的やりやすく、報酬としても悪いものではない。

午後四時三十分。私と調査員の野村は夫の会社があるRビル前に車を停めると張り込みを開始した。五階の窓を見たのだが、男性社員が動き回っているだけで、ターゲットの朋子の姿は確認できない。幸いビルの出入り口は一カ所しかなく、上階の会社員はエレベーターを利用している。万が一にも見失うことがない張り込み現場だった。依頼人から「朋子さんはすごく美人よ」と言いながら手渡された写真は、社員旅行のときに撮ったものだったが、良彦の横で少しはにかんだ顔で立っている朋子は夫人の言うとおりスレンダーな美人だった。

依頼人も美人なら朋子も美人である。少しずつ暮れなずむ街のなネオンサインを眺めながら、「今度の仕事は楽しくなりそうだ」とわくわくした。退社時間となる五時半になったが、まだ朋子は出てこない。時間は七時、八時と過ぎていき、他のフロアの明かりは次第に消えていくのだが、五階のU工機販売は明かりが点き、朋子が出てくる様子がない。窓を見ると、男性社員たちはあらかた退社したようで、人影がない。

九時ちょっと過ぎたとき、U工機販売の明かりも消えた。ところが、朋子も社長である良彦も出てこない。調査員の野村が不安な顔で、「所長、誰も出てきませんよ。どうしたんでしょう?」と声を潜めて言う。仮に社長の植村良彦が出先から直接帰宅することはあっても、社員である朋子が定時前に退社することは考えられない。それに出口は一カ所だから、見失うことなど絶対にないはずだ。

明かりが消えて一時間が過ぎた。夜十時ニ十分になると、とうとうビルの全てのフロアの灯が消えた。私たちは調査車両をビルの正面玄関近くに移動し、調査員の野村と二手に分かれて立ち張りをやることにした。立ち張りとは文字通り、車の外に出て立って見張ることだ。周囲のビルもあらかた真っ暗になり、明るいのは勤め帰りのサラリーマンが立ち寄る小料理店の看板ぐらいである。我々は張り込みを開始する前に腹ごしらえをしていたのだが、そろそろ腹もへってきた。

誰も居ないはずの五階フロアの明かりがパッと点いたのは、十一時を少し回ったときだった。社員の誰かが忘れ物でもして会社に帰ったかとも思ったが、少なくとも我々が見ている限りビルに入った者はいない。明かりは二、三分するとすぐ消えた。直感的にマルヒが出てくると思った私は、「よし、出てくるぞ!」と野村に声をかけ、近くのビルの陰に姿を隠した。ビルからドアが動くかすかな音がして、大柄の男が出てきた。身長は百八十センチぐらいで、体重も百キロ近くあるだろう。いかにもエネルギッシュな感じで、着ている背広も高級そうだ。写真で確認するまでもなく、ひと目で依頼人の夫、植村良彦だとわかった。

良彦に続いて秘書の朋子が男の大きな背中に隠れるようにして姿を現した。黒革カバンを持った良彦は、後ろにいる朋子のことをあまり気にする様子もなく大股で外に出て、その後を彼女がついていく。大通りに出ると、良彦がサッと手を上げてタクシーを停めた。野村は二人の後方で、私は通りの反対側で尾行していたのだが、タクシーには良彦だけが乗りこみ、朋子は道に立って見送っている。

野村は胸ポケットからメモ帳を出すと、何か書きとめたようだった。私は、尾行対象者がタクシーに乗るときは、タクシーのナンバーを控えるように調査員たちに教えていた。

タンゲーラ 3

私は(これはたぶんだめだな)と思いながらも、悪い印象だけは与えまいと、なるべく平静を装い、依頼人の次の言葉を待った。ところが、私の予想に反して、この美しい依頼人は「いえ、そんなことありませんわ」と微笑むと、「とりあえず一週間ほど夫の尾行調査をやっていただこうかしら」と、いともあっさり言った。
ちょっと退屈だから、探偵に頼んで夫の行動を調べてみよう-こんな動機で浮気の調査依頼をする彼女に、まだ探偵としても人生経験という意味でも駆け出しだった私は驚いた。

「でもかりに一週間調査すれば、何十万とかかりますよ。退屈しのぎのお遊びだとすれば、ずいぶん高いものにつきますよ」そして、こう付け加えた。
「浮気調査は張り込みや尾行を行うことになるのですが、調査してどれくらいの日数で結果が出るかはわかりません。奥さんと私にツキがあれば、一日ないし数日で証拠が掴めるでしょうし、ご主人に運があれば、もっと日数がかかる場合もあります。例えば月曜日から土曜日までの六日間調査をやれば、五十万円前後かかります。それでもいいんですか?」
ちなみに、当時、神田駅の近くになった私の事務所は十坪足らずだったが、一ヶ月の家賃が五万円である。いまは最低でもこの三~四倍はするだろうかあ、彼女に示した調査費用をいまの金額にすると、およそ百五十万~二百万円ということになる。庶民感覚からいうとかなりの大金なのである。

だが、彼女は私の説明に驚いた様子もなく、かすかにうなずいて私を見つめている。独立してまだ三年目だった私は、どんな仕事でも欲しいときだった。私は依頼人が料金に納得して調査をするならと思い、彼女に詳しく調査の方法を説明して、夫の日常生活を聞いた。

妙子と名乗った依頼人は、夫の日々の行動や癖の話になると。とたんに饒舌になり、さも楽しそうにニコニコ笑いながらしゃべりはじめた。私はそれをメモにとり、最後に「調査申込書」に署名捺印してもらったのだが、彼女はそれが終わると「おコーヒーでも入れるわね」と言って応接間から出ていった。そのとき改めて応接間を見回すと、広さはおよそ三十畳ぐらいで、家具や調度品もいかにも高給そうだった。私は壁にかかったリンゴの絵を見ながら、(おういえば、うちのキッチンの壁に掛けられているのは山野風景写真のカレンダーだったっけ)と思っていたのだが、あとで彼女に聞いたところによると、そのリンゴの絵は本物のシャガールだった。

依頼人の夫の会社は中央区にあり、高島屋日本橋店カラ歩いて三分ほど、都内のビジネス街としても一等地にあった。社名はU工機販売といい、比較的新しい八階建てビルの五階フロアーを全部借り切って営業していた。社歴はまだ十年ちょっとで、社員も四十人ほどの典型的な中小企業だが、大手商社のエリートサラリーマンだった被調査人は、会社員時代の豊富な人脈をフルに生かし、営業手腕も優れていたのだろう。取り扱っている精密機器は国内はもとより海外の企業にも飛ぶように売れ、業績はすこぶるいいようだった。

依頼人の言葉を借りると「儲かってしょうがない」状態らしかった。時はあの田中角栄総理の時代で、列島改革ブームの真っ最中である。社会全体が好景気だったっとはいえ、五万円の事務所代にもきゅうきゅうしていた探偵には羨ましいほどの隆盛ぶりだった。浮気調査を開始したのは、依頼人と面談した翌週の月曜日からだった。ただし、依頼人の妙子が、打ち合わせしているとき、調査対象は夫の良彦ではなく、自分が怪しいと思っている秘書の嶋村朋子にしてほしい言いはじめたため、当面は秘書である朋子の素行調査をやることにした。

タンゲーラ 2

自宅に呼びつけるところをみると、この昼下がりの依頼電話は、こういった冷やかしではなさそうだ。私は、自宅の住所を聞いて、翌日昼二時に訪問することを約束した。
涼やかな声で電話をかけてきた依頼人の家は、山手線の五反田駅から歩いて十分ぐらいのところにある閑静な高級住宅街の一角にあった。白壁で覆われた鉄筋コンクリートの家は、まさに見上げるような豪邸で、団地住まいの私はドアフォンを押すのに気後れしたほどだった。玄関のドアを開けたのは、上品で清楚な、しかもすばらしく美しい三十三、四歳の夫人だった。襟元に細かい花の刺繍がほどこされた白いワンピースを着ている。

私が玄関に立つ依頼人をまぶしそうに見上げて来意を告げると、「植村妙子と申します。わざわざお呼び立ていたしまして申し訳ございません」言葉遣いも上品に、軽く頭を下げた。私は、一瞬、コスモスの花が秋風にふわりと揺れたように感じた。顔に憂いの表情はなく、困った様子や悩んでいるふうはない。招き入れられた応接間で待つ間、(あの人は依頼人ではなく、依頼人の妹か友人かもしれないな)と思ったほどだ。

彼女はお茶を持って応接間に入ると、私の前に座り「ご苦労様です」と言いながら高級そうな白磁の茶碗を差し出した。身長は百六十センチぐらいで全体的にほっそりしているが、三十路を超えた体には何とも言えない色香が漂っている。(やはりこの人が依頼人か)と思いながら、改めて彼女の顔を見た。黒目がちの瞳は知的で、こぶりな口元に品があった。
「実は、ご相談いたしたいのは夫のことなんです。夫は浮気していると思うのですが、それを調査してもらいたいんです」
この美しい依頼人は、悲しげな素振りも見せず、明るく淡々と話しはじめた。彼女より六歳年上の夫、植村良彦は中央区で機械関係の商社を経営し、家庭では多少亭主関白だが、まずまずの夫であり父親だという(彼女には当時三歳と五歳の子供がいた)。生活費も充分にもらい、年に数回、海外旅行にも連れていってくれるという。

「でも・・・たぶん間違いなく浮気していると思います。もう何年も前からだと思うし、その相手も大体見当がついているんです」
彼女は私の目を見ながら、かなり断定的に言う。女性のこの手の勘はほぼ百パーセント当たっている―大手調査会社勤務を含め、探偵稼業はまだ六年だったが、これは経験的にわかっていた。私は彼女の言葉を否定せずに聞いてみた。

「もう何年も前からわかっているとおっしゃいましたが・・・どうして今日まで何もなさらなかったのですか?」
少々愚かな質問かなとも思ったが、憂いのない依頼人を見て、何となく意地悪なことを聞きたくなったのかもしれない。彼女は私の質問にニッコリすると、「退屈になったからなの」
と、こちらが予想もしなかった返事をした。そして、
「二、三日前、テレビを見ていたら、探偵が登場するドラマがあって面白かったの。しかもその探偵さんが格好よくて、本物に会ってみたくなったのよ」と悪びれた表情もなく言う。

私はあまりのバカバカしさに言葉を失い、そして、内心、顔を赤らめた。この上品で美しい依頼人は、私を見て失望したに違いない。私はテレビドラマに出てくる探偵のようにハンサムでもないし、背だって高いほうではない。来ている洋服も仕事がやりやすく、人に不快感を与えない服装を心掛けているだけで、けっしておしゃれとは言えない。
私は(冷やかしやイタズラより質が悪いな)と思いながら、「申し訳ありませんね。奥様のご期待に添えませんで」と苦笑気味に言った。

たいていの依頼人は気まぐれだ。電話帳を見て探偵事務所に電話をしたものの、話しているうちに気が変わったり、探偵の対応が気に入らなくて調査依頼を見合わせこともよくある。

タンゲーラ 1

ガッシャーンという凄い音がして、乗っていた車がガードレールにぶつかった。土曜日の朝、お泊り保育で幼稚園にいた長男を車で迎えに行く途中だった。いわゆる脇見運転である。運転していた私はどうもなかったし、車も普通に動くのだが、フロント部分はグシャグシャになっている。私はわりあい細心な性格だと思っているが、もう一方で物事をあまりくよくよ考えない一面もある。「あーあ、こりゃ修理に一週間はかかるな」と思いながらも、「ま、しゃあねえな」と、とりあえず長男の待つ幼稚園に向かった。

幼稚園に着くと、門のところで親を待っていた園児たちは、前がグシャグシャになった私の車を見て口々に訳のわからない奇声をあげた。長男はその後ろで身をすくめるように無残に変わり果てた車を見ている。私が「オーイ、龍一、帰ろうぜ」と手招きしてもなかなか来ない。「ボク、こんな車に乗りたくない」とぐずるのをなだめるのに苦労したものだった。だがもし-この日、事故を起こさず車が使えたら、私の人生は変わっていたかもしれない。そして、きっとあの美しい依頼人の人生も・・・。もう三十年以上前のことだが、私にはときどき、こんな甘酸っぱい感傷をもって思い出す依頼人がいる。

勤めていた大手調査会社を辞め、神田駅前の雑居ビルで探偵事務所を始めたのは二十七歳の時だった。それから三年ぐらいすると、事務所もどうにか軌道にのりはじめ、調査員が三人、夜間大学生の電話番を雇えるぐらいになっていた。結婚したのがわりあい早かったせいもあり、そのころ妻と二人の子供がいて、東京多摩市のニュータウンで平凡だが幸せな家庭生活を送っていた。当時三十歳だった私は、家庭にもまずまず恵まれ、良くも悪くも無鉄砲で、がむしゃらに仕事をしていた時期だった。

少しくぐもったような、それでいて気品を感じさせる女性の声で電話があったのは、九月に入ったばかりの、まだ夏の暑さが残る昼下がりだった。
「あのお、調査をお願いしたいんですが、どのようにしたら良いのでしょうか」
久しぶりの依頼電話だったが、私は努めて事務的に、
「ご都合さえよろしければ、事務所においでいただくのが一番良いのですが、そちらのご指定の所に出向いてもかまいませんよ」
と応えた。
「それでは、あの、家に来てもらっても構いませんでしょうか?」
こう言うので、私は「もちろん大丈夫です」と応えた。

探偵社に初めて調査を依頼する人で、事務所に来る人はまずいない。浮気調査などは自宅に来てもらいたくないという人がいるため、いきおいシティホテルのラウンジや駅前の喫茶店などで会うケースが多くなる。だが、勇んで待ち合わせの場所に行っても依頼人が現れないことも少なくない。約束をした後で、友人などに相談して心変わりをする場合もあれば、最初から調査の依頼をする気がない冷やかしや、同業者の嫌がらせということもある。

事務所を開いて間もないころ、深夜に若い女性が「調査をお願いしたいのですぐに会いたい」と切羽詰まった声で電話をかけてきたことがあった。「K駅前に無人交番があります。資料を用意して待っています」こう言うので、とるものもとりあえず行ってみると誰もいない。仕方なく事務所に戻ると、それを見計らったように電話が鳴り、「先程の者ですが、来て頂けないのでしょうか?」と言う。

(もしかして冷やかしかも)と思った私は、
「いえ、もう調査員は行ってます。駅に黒い車が停車しているはずです。その車に担当者が乗っていますからすぐ行ってください。車が見つからなかったら、もう一度電話してください」こう言って電話を切ったのだが、その後、電話はかかってこなかった。

ペンキ 7

恐らくいまの小夜子さんにとって、この「原」という漢字の一文字が、他の何よりも貴重な財産であり、生きて行く支えなのだろう。報告書を読み終えた親分と今後の打ち合わせをすませ、会長室を出た私は充分満足した。会長の、そして小夜子さんの「遠くからの声」がしっかり届いたと確信した。探偵稼業もいいもんだ。心底そう思えた。

私は、その後、自然な形で小夜子さんと接触したいと言う会長に、自分の感想を率直に述べた。
「夕方の犬の散歩のとき、偶然を装って会うのはどうですか?」と進言し、さらに会長が何気なく立つ場所までアドバイスした。会長は「よし、わかった」と、私の気持ちや手法を理解してくれ、最後に「ありがとう」と言ってくれた。いままで「ご苦労さん」と言われたことは何度もあったが、ありがとうと言われたのははじめてだった。そこにはヤクザの顔はなく、古希を過ぎたひとりの男の満足げな姿があった。

その後、小夜子さんと会長がどうなったか知らない。何もなかったかもしれないし、あるいは、彼女の暮らし向きが少しはよくなったかもしれない。会長からのお呼びのないまま、この調査について忘れかけたある日。組の事務所から、会長の葬儀の日程を知らせるファクスが届いた。