離婚した妹のことを心配してマンションを尋ねた彼女は、妹から私のことを聞き、第三者の意見を聞きたくなったのだろう。テーブルのコーヒーを一口飲んだ彼女は、ズバリ、「妹が好きだという岡田さんは離婚する可能性があると思いますか?」と聞いてきた。私は彼女を見ながらゆっくり言った。「まず百パーセントないでしょうね」そして、彼女が自殺を図ったことを聞いたため、依頼を断れなかったと付け加えた。姉は「本当にご迷惑をかけます」と言ったあと、「私はもうあんな経験をしたくありません。所長さんの力で何とか妹の目を覚まさせていただけないでしょうか」しっかり者の姉にとっても妹の自殺騒ぎはだいぶショックだったようだ。そのあと、ちょっと声を潜めるように「主人の立場もあって・・・」と言うのだが、それは私にも充分に理解できることだった。上場会社の重役にとっては、たとえ妻の妹でも新聞沙汰になることは避けたいのだろう。
私が、「まあでも・・・こればかりは妹さんご自身の気持ちですから」と言うと、重役夫人は、「あのこんなお願いをしてはご迷惑かもしれませんが、私と所長さんで岡田先生に会ってみたいと思っているのですが、いかがでしょうか?岡田先生も私たちになら本当の気持ちを言うんじゃないでしょうか?」なるほどと思い、私もこの提案に賛成した。
姉が岡田教諭を呼び出し、私は依頼人の従兄として同席することになった。場所は渋谷の道玄坂にある「マイアミ」という喫茶店だった。渋谷駅前のスクランブル交差点は、いつの間にか街路樹の枯葉が舞う季節になっていた。約束の時間に五分ほど遅れて行くと、二人はもう席に座って、気まずそうな雰囲気で向かい合っている。Gパンにジャケットといったラフな格好の岡田教諭はさすがに当惑したような顔でかしこまっている。私が席に着くと、さっそく本題に入った。私は言葉を飾らず単刀直入に言った。「悠子はあなたが別れてくれるというので離婚したんだけど、岡田さん、あなたは離婚できるの?」岡田教諭は少し間を置いたあと、「そのつもりです」と口元を歪ませるように答えた。お姉さんはこの言葉にムッとしたらしく、「岡田さん、そのつもりってどういう意味ですか。妹は、あなたが奥さんと離婚して自分と再婚してくれるって言うから、家庭を棄てたんですよ。それをいまさら、つもりってことはないでしょう!」と詰問調で言い、早くも涙ぐんでいる。岡田教諭は下を向いてだんまりを決め込んでいる。私は、彼のこんな態度はある程度予想していたのだが、たとえ一パーセントでもその可能性がないかと淡い期待もあった。岡田教諭は、目に涙を溜めている姉と自分を睨み付けている”従兄”に当惑したのか、「すみませんが・・・もう少し時間をいただけないでしょうか?」こう言うと、「あの、僕はほかにちょっと用事もあるので、今日はこの辺で失礼したいのですが」と言って席から腰を上げようとする。私は思わず、「ちょっと待てっ!」と少し声を荒げ、べらんめぇ調で「お前、今日は帰れねえんだよ」とすごんだ。
岡田教諭はギョッとした顔になり、へたへたっと腰を下ろした。私は不安そうな顔で私を見つめるマルヒに、今度はうって変わって優しく諭すように言葉を続けた。「ねえ、岡田さん。怒らないから正直に言ってよ。奥さんと別れることなんかできないだろ?いま、あなたには子供が二人いる。上のお兄ちゃんは五歳だ。僕にも子供があるからよくわかるけど、目に入れても痛くないくらい可愛い年頃だよ。あなたが本当に奥さんと別れるというのなら、いますぐ別れることだ。一日伸ばせば、その分だけ難しくなるし、いまなら子供たちもあなたのことをすぐに忘れてくれる。
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山中湖にて 10
ところが、岡田教諭の妻はよほど混乱していたのだろう。「いえ・・・あの結構です」名刺を受け取ろうとしない。私のほうは、せめて修理代だけでも払いたいと思い(修理代は依頼人に請求するつもりだったが)、「じゃあ、とりあえずいくらかでもお支払いしておきましょうか」と言ったのだが、彼女は、「いえ、でも本当に結構です」と言って、もう一度首を傾げると、車に乗ってエンジンをかけた。私もこれ以上はいいだろうと思い、車に乗っている彼女に丁寧に詫びてその場を去った。岡田教諭の妻が車に乗って自宅に帰る途中、様々な疑問に思いを巡らせたことは想像に難しくなかった。
なぜ、夫の車があんなところにあったのだろう?釣りに行ったという夫は、いま一体どこにいるのだろう?そういえばあのお巡りさん、通報してきた大家さんが、「車はこのマンションによく駐車している」と言ってたけど・・・なぜあんなところに夫はいつも車を停めていたのだろう?
岡田教諭の妻は、こんな疑問を夫が帰宅したら聞くはずである。マルヒの返答次第では、浮気に気づいて夫婦仲がおかしくなり、依頼人が望む離婚に発展する可能性もあるはずだ。私は、帰りの車の中でこんなことを思いながら、(この探偵稼業も因果な商売だ・・・)と苦い顔をしていた。
仕事とはいえ、依頼人のために、何も知らず幸せに暮らしている二十六歳の若妻を悩まし、最悪の場合(依頼人にとっては最良の場合だが)、彼女はもちろん子供の人生までも変えてしまうかもしれないのである。
マルヒである岡田教諭は自業自得としても、妻やその家族にはこれっぽっちも罪が無いのである。だが、私は探偵は依頼人の意向に沿って仕事を遂行しないといけないし、たとえ公序良俗に反しても、場合によっては目をつぶってやらなければならないこともある、と思っている。探偵とはそんな商売なのである。
依頼人から電話があったのは「工作活動」をした翌日の午後四時過ぎだった。弾んだ声で、「うふふ、面白かったわよー。彼は昼過ぎに出て行ったんだけど、すぐ私の部屋に引き返してきて、”停めていた車がないんだ。知らないか?”って青い顔をして言うの。私が”知らないわ。大家さんに聞きに行って、”やっぱりないよ。どうしたのかな”って、頭を抱えて座り込んじゃって。大成功よ。私、家に帰って奥さんからなんと言われるか想像したらワクワクしちゃったわ」
ところが、一番肝心な奥さんの反応は想像したより小さかったようだ。その二日後、依頼人の部屋を訪れた岡田教諭は、彼女にこう言ったという。「オレの車、どこにあったと思う?家にあったんだよ。なんでも、夜中、だれかがゴルフクラブでバックミラーを壊したらしくてね。警察が来て、うちの女房に車を引き取りに来させたらしいんだよ」
彼女が「奥さんは何と言って?」と聞くと、
「いや、車のことを言われたのは、夜寝るときだったんだけど、適当に誤魔化したさ。うちの女房はあんまり頭が良くないから、騙すのなんか簡単だよ」どうやら奥さんの「あまり物事を深く考えず、よく言えば天真爛漫な性格」が裏目に出てしまったようだった。依頼人のお姉さんという人から電話があったのは、工作活動をしてちょうど一週間過ぎたときだった。「妹のことで、ぜひお会いしたい」と言うので、翌日、Tホテルのロビーで会ったのだが、依頼人から「姉は一流企業の重役夫人」と聞かされていた私は、ちょっと気おくれした。ひとつにはあの工作活動をしたことに後ろめたい気持ちもあった。だが、依頼人のお姉さんは意外に気さくな女性だった。彼女はまず、「妹がやっかいなことをお願いしまして」よねぎらって頭を下げた。
山中湖にて 8
私もあとで知ったのだが、静岡県にある依頼人の実家はその地方の名家で、亡くなった父親は県会議員をしていたという。すでに両親とも他界していたが、亡兄は地元の公立高校の校長で、次兄は裁判官、彼女の夫が相談した姉も大手企業の重役に嫁いでいた。彼女は、兄弟のなかでも年が離れた末っ子で、両親はもとより兄や姉たちからからも甘やかされて育ったようだった。お姉さんは何度も彼女に会い、思いとどまるよう説得したが、依頼人は頑として受け入れず、夫もここに至ってはお手上げになってしまったようだ。
「夫には本当に感謝しています。最初こそ私を責めましたが、私の決心が固いことがわかると、子供を置いてゆくことを条件に離婚に応じてくれたんです。しかも、私が生活に困らないように相当な額の財産を分けてくれました」彼女の元夫の心中を察して、私は思わずため息が出たほどだった。離婚して晴れて独身となった彼女は、「僕の自宅の近くに住んで欲しい」と言う彼の希望を受け入れ、マルヒ宅近くのマンションに転居した。そして、いまは「僕だけの君になってくれ」と懇願した彼の言葉どおり、彼の訪問だけをひたすら待つ人になった。私は口にこそしなかったが、「これじゃあ、まるでお妾さんだな」と思ったものだが、もしかして、お妾さんよりもっと悪かったかもしれない。
「いま住んでいるマンションは2LDKなんですが、私がそのマンションに引っ越すと、彼はまるで子供のように喜んでくれて、朝夕の行き帰り、毎日のように立ち寄ってくれるようになったんです。学校の先生なんて、給料もそう高くないでしょう?彼の財布を見て、あまりお金が入っていないときは、ちょっとお小遣いを入れてあげたこともあるんですよ」彼女はむしろ楽しそうにこう話したのだが、マルヒにとってはまさに至れり尽くせりのお妾さんだろう。それにしても、彼女はなぜ、あんな男にあれほど入れ込んだのだろうと不思議でならないことがあった。彼女が息子の担任にその想いを告白されたのは三十七歳のときである。分別もある年齢で、優しい夫と幸せな家庭があった。そんな人妻が、生徒の母親に愛を告白するような軽薄な教師に、まさに身も心もすべて捧げてしまったのだ。
私は彼女からこんな話も聞いたことがあった。「私が離婚しても、いっこうに彼が離婚する気配がないので、あるとき”どうなっているの?”と聞いたことがあるんです。彼が”妻がなかなか承知しなくてね。いま弁護士に頼んで進めている”と言うので、私が”いつもそんな言い訳ばかりね。本当に別れてくれる気があるの”と詰め寄ったんです。すると、彼は急に不機嫌になり、二、三日、マンションに来なかったんです。その間、そのまま彼が来なくなったらどうしようと思うと不安で不安で・・・。もう二度と彼が嫌がる話はしないようにしようと思ったものでした」
またあるときは、ひとしきりベッドで愛し合った後、ふと、「あなたの奥さんってどんな人かしら。見てみたいわ」と口にしたことがあったという。すると、隣の彼の身体がギクッとなったのがありありとわかった。枕元のスタンドの薄明かりで彼の顔をみると、怒りとも恐怖ともつかない強ばった顔をしていた。「彼はベッドを出ると、なにも言わずマンションから出て行ってしまって・・・。私は彼に嫌われたのではないかと思って、その夜はずっと泣いていました」彼女が寂しそうにこう話すのも聞いたことがあるのだが、ひとあすら男に愛されたい、どんな仕打ちをされても捨てられるよりいい、こう一途に思う彼女の心情は、男の私にはとうていわからないものだった。
調べる
探偵は疑い調べることが日常業務である。
下調べや情報収集に時間を費やし「有力情報」にたどり着き御依頼者が欲している調査結果に行き着くのである。
スピード解決は理想的であるが「基本に忠実に手順良く情報確認」が望ましい調査の順序といえる。
昔は「現場に足を運び細かな情報を得る」が調べ事の王道と言えたが現代は様相に変化が生じ「ネットで充分な下調べ」を行い「情報収集に現場に赴く」の手順が最も効率よく効果的で的確な手順である。
ネット情報の下調べが「ラフ」であった場合には「調査結果にたどり着けない」案件も存在し「手順の重要性」と「入念」さが欠ける事が調査に大きく影響する。
仕事の手法も問題となるが「結果を得るための下調べ」は探偵の第一歩言え、この重要性を認識できない調査は「情報量・スピード・信憑性」いずれにおいても不安定であり依頼人の信頼を得られない可能性がある。
信頼関係
探偵と依頼人の信頼は「問い合わせ」から始まり「調査報告」にいたり、その後の相談やアフターケアーなど一連の業務のなかで成立する。一言で表現するならば「積み重ね」で信頼関係は成立している。
どんなに些細な悩みでも「親切丁寧な対応」や「言葉遣い」が出来、相談内容に対する「ベストな解決策」を提案し「御依頼者と二人三脚」で取り組む姿勢が大切であり理想でもある。
もし、二人三脚でトラブル解決に取り組む姿勢が無いならば「お互いを信頼」できないと断言できる。両者に「少しでも人任せ」や「怠慢な対応」があったならばトラブルにも発展しかねないのである。当然の事ながら「依頼を請け負う立場」の探偵に関して言えば「あってはならない対応」である。
業務上最低限必要な「連絡し確認」する行為が満足に出来ない探偵は論外といえる。
あなたの大事を任せるにふさわしい「探偵や興信所」を選考する上で「当たり前」だが普通に出来ているか再確認が必要であり、将来的に信頼関係を築ける依頼先であるか?が満足な調査を遂行する上で欠かせない条件であるといえる。